【セミリタイアと追想】父親の事を振り返る
「父親の人生は果たして幸せだったのだろうか」
どうも、アロマリアです。
今日は時々思いにふけっていることについて。
若干セミリタイアの理由にも重なる部分があります。
父親について
アロマリアの父親は、まさに絵に描いたような「昭和の父親」
という印象だったと記憶しています。
- 基本的に亭主関白(母は専業主婦)
- (特に食べ物の)好き嫌いが激しく、とても頑固
- 一度機嫌が悪くなると、なかなか戻らない ※現代的に言うと、アンガーマネジメントが下手…
- 流行には乗らない、ITなど新しい事にも比較的疎い(ワープロは使ってた)
など、今思えばテンプレ満載な特徴ですね。
兄達曰く「自分達が子供の頃はもっと自分達に怒っていた」とのことですが
自分にはそういうのはありませんでした。
でも片鱗は時々感じたため、理解は出来ました。「怒らせちゃいかんなー」的な。
自分が物心つく頃にはマイホームも建て、拠点を手に入れたような状態でしたが、
それからも単身赴任の期間が長く続き、毎週土日に自動車で帰ってきていました。
※これも今思えばすごいことだなと、自分ならとてもできない…。
仕事では割と高い役職についていたのか、部下的な人達を家に呼び、
盆や年末などで宴会を開催していました。
その時、ベロンベロンになるまで酔って、最後は部屋でグダーっとなっているのが恒例でした。
酒が飲めるようになって、自分の周りでザルのような酒豪に出会ってから分かりましたが、父親は決して酒に強い部類ではなかったと思います。
実際肝臓も悪くしてましたし。
あれだけ飲めるようになったのは、おそらく時代の背景もあるんでしょう。
昭和は「酒飲めてなんぼ」「タバコは嗜み」みたいなところがありましたから。
若い頃に付き合いで飲んだり吸ったり、なんてザラだったと思います。
まあ晩年は後述する糖尿などの病気etcで、酒もほぼ飲まず、タバコもやめていましたが。
父親の最期
文章的にお分かりだと思いますが、アロマリアの父親は既に亡くなっています、故人です。
もう6~7年前になりますかね、社会人5年目の1月末に訃報の電話が実家からやってきました。
その直前、年末に帰省した時は、以前から痛めていた足腰が原因で入院していました。
その時に一度見舞いに行ったのですが、言い方があれですがベッドに横たわる姿はまるで"枯れ木"のような、年齢以上に老け込んでいる印象を受けました。
これはおそらく糖尿病からの透析治療も影響したのでしょう。
透析は実年齢の3倍で老化すると聞いたことがあります。
それを地で行く印象を受けました。
原因は足腰ではなく、痰が気管支に詰まったことによる肺炎によるもの、だったと記憶しています。
母から聞いた話、「医者曰く『生きようとする意思が弱っていたこともある』」
と言っていました。
年始の見舞いの印象で、正直想像に難くない原因だと感じました。
入院していない時も、晩年の数年間、実家での生活の様子は、基本ベッドに横たわり、TVを1日中見ている感じでした。
足腰が動くときは、それこそ庭仕事や草刈り、家庭菜園などもやっていました。
とはいえ、透析を始めてからはしていない様子でした。
透析を始めたのは定年(60歳)の前後だったと記憶しています。
定年後、父親はそれまでに取っていた資格で念願だった(らしい)開業をしました。
しかし、そこから10年経つ前に前述した内容でこの世から旅立ちました。
父親と自分の差異
正直、アロマリアは酒もタバコも嗜みませんし
(酒は飲めなくはないですが、高確率で頭痛or二日酔いになるため、自発的には飲まない)
食べ物の好き嫌いもほとんどないですし(好みに関わらず出されたものは基本食べる)
身内に対しての昭和的接し方もしませんが、
それでもやっぱり似ていると思う部分はあるわけで。
食べ物の好き嫌いはあれど
「体が病もうが、好きなものを飲み食いして死ぬわ」的な
わがままさとか。
※セミリタイアを決めた今は健康優先ですが、社畜してた頃はそういう感じでした
若干職人気質と言うか、
「自分の手がけることは満足するまで丁寧にやる」的な、
我が道を行く的な部分とか。
※庭仕事もそうなんですが、基本個人行動が好きそうな印象でした。パチンコもたまに行ってたなあ。
「こうと決めたら周りにどう言われようがやる」みたいな頑固さも、似てたなと。
※セミリタイアすると決めて実践することに似た部分を感じています。まあ父親は定年まで公務員一本でしたが…
何というか、父親と自分の差異の多くって
「時代背景やその環境」
がモロに影響している気がするんですよね。
根っこの部分では、頑固で、独りが好きで、我が道を行きたがる。
そこに時代背景やそれに基づく環境・空気感があって、最終的にそこに影響された部分で性格や思考が染まったり、酒タバコで身体を病んだりしたのかな、と。
※でも対人メンタルの強弱は違うかな…。父親は対人メンタル強めでした。
多分自分が父親と同じ時代に生まれていたら、同じような身体の壊し方をしていたかもしれません。
同調圧力善かれ、の時代ですからね。価値観まるごと、周りに流されてても何も不思議じゃないです。
そういう自分と父親の類似点を鑑みると、冒頭のメッセージにつながるわけです。
個人行動が好きそうだった父親が、時代背景に影響されて
早くから結婚と出産、子育てをし、
酒やタバコを嗜んで身体を徐々に悪くし、
マイホームを得たのにも関わらず、家族のために単身赴任で定年まで働き、
やっと定年→開業したと思えば、その前後で透析せざるを得ない身体になっており、
そのまま段々と周囲より早いスピードで老け込み動けなくなっていき、
開業から10年保たずして亡くなった父親が。
「果たして自分の人生に満足いく程度に幸せだったのだろうか」
と。
父親と、自分のセミリタイアという選択
自分は仕事、というか自由時間を奪われる事が嫌いですし、
以前記事にした恋愛経験から、若干人間不信の気があることもあり、結婚は諦めています。
それなら、これからの自分の人生は、自分が納得のいく生き方を追求したい。
だからこそセミリタイアするんですよね。
なまじ父親がまっとうなレールの上を歩ききって、それでも根っこの我を通した結果、身体を壊した晩年を見ているからこそ。
逆に
「もし父親が自分と同じ時代に生まれていたら、セミリタイアが選択肢に上がることもあったのだろうか」
とかそんなことを思ったりもします。
今日はそんな話でした。
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