己を蝕む社畜という病
どうもアロマリアです。
自分は現在うつ病を罹患、治療中なのですが、
それとは別にタイトルのような病も発症しています。
いわゆる「社畜病」
社畜と言えば、以下のようなイメージがあると思います。
- 会社のために自分の時間と労力のすべてを捧げる
- 他の社員にも自分の価値観を押し付ける
ですが、自分の場合は入社時から意識して他人の価値観に干渉しないようにしていましたし、
平日のプライベート時間や休日は意地でも確保しようとしていました。
では、何が社畜病なのかというと、一言で言えば
- 暇に対して罪悪感を感じるようになる
という症状です。
「え?それって個人の性格や性分じゃないの?」
と考える人は当然いると思います。
そのパターンもあると思いますが、
自分の場合、元々はそんなことはありませんでした。
高校までは、同じ漫画を何度も読み返したりしてましたし
大学では、サークルメンバーとの何の生産性もないグダグダ時間を心から愛していました。
こういう風になったのは社会人になってからです。
- 少なく見積もって人生の7割の時間を拘束され
- その時間内で実質必達の成果物ノルマが存在し
- 時にはプライベートを侵食せんと残業や休日出勤が発生する
そんな中で仕事をこなしていくための要素の一つは何でしょうか。
そうです、効率です。
とにかく時間を有効活用しなければならない。
労働のパフォーマンスを上げるための休憩以外の余暇は無駄。
ミスを減らし、手戻りを減らし、生産性を上げていく。
この労働時間中にだけ求められていたはずの価値観が、いずれはプライベートの人間性にまで浸食してきます。
これは「オンオフの切り替えが苦手」な人や「シングルタスク」の人にありがちなのかなと思います。
- 休日にケガや体力消耗するようなことをすることは仕事のパフォーマンスに支障が出るので、なるべく避けなければならない
- 休日も起きている時間は常に何かを生産、学習しなければ人生を無駄にしてしまう
- そして生産と学びもとにかく効率、なるべく短時間で多くのことを覚えないといけない
- 休日はあくまでも仕事の休憩時間である(土日は48時間の休憩時間、3連休も同様)
etc...
こういった思考(強迫観念)が約12年の会社員生活で自分の価値観を蝕んでいきました。
やがてこれは無意識のストレスとなって、積み重なっていきました。
心のゆとりは消失し、いずれは限界を迎える。
時間の大切さを知ったが故に、時間の無駄を許せなくなる。
隙間をなくそうと躍起になり、何もしないことを罪のように感じるようになる。
確かに何かを生み出し続けることは意義があるとは思います。
ただし、それが個人の幸せを十分に満たせるとは限らない。
何も考えず、何も生み出さず、何もしない時間。
そういうものに幸せを感じられる人だっているわけです。
むしろ現代は急ぎすぎていると思います。
休職になってこの病は大分落ち着いてきて、罪悪感も薄れてきました。
ですが昔のように、グダグダした時間を愛せるほどには戻れないと感じています。
セミリタイアしたら、また変わるのでしょうか。
これを読んでいる人は、そういう風になっていませんか?
思い当たる人は休職なりセミリタイアなり、
有り余るほどの時間を確保して、一度立ち止まってみるのもいいかもしれません。