アロマリアは自由になりたい

37歳独身が自由を求めて、あがく日々の記録

シングルタスクへの回帰を考える

どうもアロマリアです。

昨日は何かだるかったのでブログ更新なしで即ダウンしました。

 

今回はプライベート・仕事問わず

「シングルタスクへの回帰を考える」

件について書こうかなと思います。

 

 

公私ともにマルチタスク・倍速に追われる現代

現代、特に2000年前後辺りから、人々の情報処理環境は激的に変化しました。

PC(OS)、インターネット、スマホ、通信速度

それらの性能もムーアの法則に沿ってすさまじい進化を遂げています。

 

それらの進化に従い、最近では動画配信やAR、VRなど、

古くから存在していた情報媒体である"書物"よりも

情報を吸収しやすい媒体も生まれ、今なお発展を続けています。

 

労働においても、IoTだDXだと、環境の改善を促す動きがあります。

Eラーニングも、パワポのようなスライドのみの形式から、動画での学習形式の提供へ変化していってますよね。

さらにその動画も倍速再生にも対応していたりなど。

 

これらに対し、我々現代人、特に若者はいち早く適応し、

プライベート、労働問わず、効率化、生産性向上を進めていっています。

何か聞いたところによると、人によっては

  • 動画は倍速再生が当たり前
  • 楽曲はイントロが長いと印象が悪い
  • 映画見ててもスマホいじらないと落ち着かない

みたいな感じらしいじゃないですか、すごいですね。

 

かく言うアロマリアも、プライベートだと

  • ゲームしながら動画流す(資格勉強とかゲーム実況とか)
  • スマホいじりながらPCで動画流して聴く
  • 料理、運動中もイヤホンで音楽や動画を聴く

みたいなことはしてたりしてます。

ただ同時に、この生活はしんどいというか、生き急いでいる感がすごいんですよね。

体力の消耗じゃないけど、何か疲れるというか。

やる気や好奇心を必要以上に消費している感覚。

脳疲労ってあるらしいですけど、それですかね。

 

人間とマシンのスペック向上。それ自体はとても素晴らしいことだと思います。

ですが、正直

「もう自分疲れたんで、立ち止まっていいですか」

「ゆっくり歩く感じで生きたいです」

という進化への諦めもアロマリアは感じています。

 

まあぶっちゃけ

「それってアラフォーに片足突っ込んだスペックで追いつけないだけじゃないか?」

という側面も否定できません。

それはそれで、その追いつけない人間が

現代で健やかに生きていくための立ち回り、過ごし方

を改めて考えてみようということです。

 

そもそも人間はマルチタスク向けではない

仕事とかでもありますよね

「あの人は複数の仕事を同時にこなしててすごい」

「あの人はマルチタスクだな」

とか。

 

ただ実態としては、個別の仕事を効率よくこなしているだけなんですよね。

もしくは、無意識で手が動かせるぐらいに自動化されているか。

決して完全な並行作業になっているわけではない。

言うなれば「高められたシングルタスク」のような感じ。

というか人間がそれやると集中力が分散して、多分個別の仕事で粗が出ます。

 

PCだって、突き詰めればそれぞれのCPUコアが個別に処理を行っていることをマルチタスクと呼んでいるだけで、ミクロ視点ではシングルタスクなわけです。

「高度な科学は魔法と区別がつかない」

とは言いますが、高められたシングルタスク群はマルチタスクと見分けがつかないのかもしれませんね。

 

こちらの記事にもありますが、人間のマルチタスクはリスキーらしいです。

president.jp

 

情報処理の進化に、人間の進化は追いついていないのでは

基本的に、人間の成長は成人(~20歳)までが一番激しく、

そこからは大きな成長は止まる、と言われています

(脳は成長するらしいとか諸説ありますが、若いうちの伸びシロが大きいのは間違いないです)。

歳を取ればとるほど流行に追いつけなくなったり、情報を把握しきれなくなったり、

はたまたその速さに不快感を感じたりするのも

その影響だと思います。

 

かく言うシステムエンジニアなアロマリアも、

未だpaypayを使ったことがないとかいうITエアプな側面があったりします。

セミリタイア始めるまでには開通しておきたいですねゴニョゴニョ…。

 

つまり、その人のベースとなる情報処理感覚や素養・適応度も、

生まれたタイミングに影響する部分は大きいと思います。

 

--------  少し脱線  --------------------------------------------------------

アロマリアで言えば、1986~2006年辺りまでの環境がベースとなるわけです。

最初の方はVHSもラジカセも、全然主流だったころ。

最後の方はITで言えば、ちょうどインターネット黎明期~光ファイバーですかね。

そのころYoutubeが出てきたりとか。大学のPCとかで見てた思い出があります。

ゲームハードだと、

ファミコンスーパーファミコンNINTENDO64・プレステ~プレステ2ニンテンドーDS

辺りでしょうかね。

 

こうしてみると、情報技術的には古いも新しいも知る、過渡期の存在でしょうか。

良い時代に生まれたものだなと思います。

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少し脱線しましたが、結局のところ、その若い時代のピーク辺りが多分適応できる

最大速度かなと思うわけです。

アロマリアで言えば「動画を見ながらガラケーをいじる」あたり。

それを以上の同時情報処理は、できなくはないけど、なんだかしんどい。

運動で言えば、自分の楽なスピードを超えたウォーキングやランニングをしている感覚なのかもしれません。

 

そういう点で言えば、最近生まれた子はどういう感じなんでしょうかね。

やはり時代時代の情報処理速度に適応して、大人になってからも全然疲れずに使いこなすのか。

それとも人間の進化が追い付かずにしんどさを感じるのか。

 

ただ、やはりこの辺りの要素が進化したのって、ここ数十年の話なので、

生物の進化スピード的にも、近いうちにどこかで頭打ちになるような気がします。

物理的限界って存在しますからね…。

 

まあ、この辺りは個人的な予想でしかありませんが。

 

身の丈に合った生活スピードが一番良いのではないか

さて、長々と書きましたが、

結論としてはタイトルに戻って

「公私共にシングルタスクへの回帰を考える(考えたい)」

という点です。特にプライベート。

 

アロマリアとしては

  • 動画を見るときは動画を見る
  • 音楽を聴くときは音楽を聴く
  • スマホをいじるときはスマホを触る
  • 運動するときは運動する

ぐらいのテンポ感、シングルタスクな感じで生きたいわけです。

もちろん倍速ではなく、通常速度でね。

 

いや、言いたいこと分かりますよ。

「プライベートなんだから好きにすればいいじゃん」と。

 

ただ、こんな効率化を迫られたのって、プライベートがひっ迫されたからじゃないかと。

ひっ迫の原因は?主には仕事だと思ってます。

 

何かあれば削減を余儀なくされるのが個人のプライベートです。

残業、休日出勤、仕事に必要なスキルや資格勉強など・・・。

自分これ本当に理不尽だと思っているんですけど、どうにかならんのですかね…。

 

そんな中、得られる情報や娯楽に対応するために無意識のうちにプライベートを効率化・マルチタスク化していったのではないかと。

現代人は皆こんな環境に身を置いていると思うので、自分と似たような人はいるのではないかと思ってます。

 

休職中の今ですら、無意識に複数の事をやろうとしたり、してなかったら非効率だなと感じたりしてしまうんですよ。

これってけっこう根の深い症状だと思ってます。

 

まずは「時間はたくさんある」という認識を根っこにもつところからスタートかなと思ってます。

心からゆっくり過ごしたい…。

 

これを読んでいるみなさんはどうですかね?思い当たる節とかありません?

 

今日はそんな話でした。

 

 

 

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