知的好奇心が義務感に変わるとき
どうも、アロマリアです。
数日空きましたね。ついうっかり。
今日のテーマはタイトルの通り
「知的好奇心が義務感に変わるとき」
となります。
ある意味、自分がセミリタイアする理由の遠因でもあります。
会社の嫌な部分として、「成長を促しますという体のいい言葉を使った『成長の強要』」と言う部分がある。
— アロマリア@36歳セミリタイア準備中 (@aromaria_retire) 2022年11月7日
結局定期的な評価指標に成長を入れたら、もうそれはほぼ強要と変わらないよねと言うアレ。
知りたいという知的好奇心
突然ですが、アロマリアは言うほど知的好奇心が強いわけではありません。
どちらかと言えば弱い部類だと感じています。
皆さんはどうでしょうか?
この好奇心は幼少期から培われ、
「興味がある」
「知りたい」
という原始的な欲求を元に発露、行動に影響してきます。
知らなければならないという義務感
対して我々は
「テストで高得点を取るために、興味がなくても把握して熟知しなければならない」
「仕事で使う技術・資格取得のため、知りたくもないことを、仕事以外の時間を使って勉強しなければならない」
といった、興味の薄い、
あるいは興味に反したジャンルに対しても知ること、熟知することを強要される環境下にあります。
この時使われるメンタルは、好奇心ではなく義務感・あるいは強迫観念です。
現代においては、好奇心よりは義務感で学ばなければならないケースの方が多いのではないのでしょうか。
義務感で知りに行った内容がたまたま関心とマッチして、好奇心で動ける場合もありますが、それは自分の場合、稀です。
労働はこの壁を簡単に越えてしまう
分かりやすい例で言えば、企業展などです。
自分はシステムエンジニアのため、情報系の企業展などに参加、もしくは出展する機会が幾度かありました。
大抵の人は
「新しい技術について触れられる楽しいイベントじゃん」
と考えるらしいですが、
「知ったことについてはレポートなりに記録として残さないといけない」
という義務も課せられます。
多分これはうちだけではないと思います。
そりゃ会社の経費を使って行くのだから、そりゃそうかって話ですが。
それはつまり、ぼんやりと眺めることを許されないということでもあります。
見たものの大半を詳細にかみ砕いて、理解に"落としこまないといけない"。
自分はその強要が嫌で仕方がない。
「興味が沸かない内容だったので、何も頭に残りませんでした」
が許されない。
ものすごいストレスなわけです。
そして大抵の場合、これは何かしらのプロジェクトの参画中、つまり業務を並行した状態で行くことになります。
プロジェクトなんてのは、あらかじめ納品までの工程が決まった状態で始まっているものですから、ここでの時間は既に引かれた工程に影響します。
「工程にはバッファとか用意してあるんじゃないの?」
なんでそれをプロジェクト外の時間に使わないといけないんですかね?
「何が企業展だよそんなの行ってる暇ないんだよ」
「それで工程遅延したらその負荷は現場行きだけど、責任取ってくれんの?」
と思って、大抵業務優先して作業を選んでいました。
自分は目の前のタスクを放棄して他の事に関心が割けないほどにシングルタスクなんですよね…。
そりゃ全く興味がないわけではないですが、
やらなければならないことが発生した時点で
僕のこのジャンルへのメンタルは好奇心から義務感へ簡単にシフトする。
基本的に両立はしません。
「ただ面倒。でもやらなきゃ」
になってしまう。
好奇心の少なさがここでネックになってくるわけです。
知りたいという好奇心が、知らなければならないに変わり、
原始的な感情の発露はストレスへと変わる。
でも自分は好奇心を蔑ろにしたいわけじゃない。
むしろ大事にしたいと思っています。
これは転職では解決しないでしょう、結局その先でも同じことが起きるのだから。
だからこそ、セミリタイアしたい。
まあ、そんなわけです。
似たような人っていませんかね?
------------------------------------------------
もし何か語ってほしいリクエストあったらコメントお願いします。
↓クリックしてもらえると元気が出ます!!主にアロマリアの!!!
youtubeもやっております!良ければ見てください!